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学び、気付きのキロク

私がボルダリングを始めた、ちょっとネガティブな理由 〜自分を壊そうと思った〜

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運動する理由

いろんな理由で運動しますよね。ダイエット、健康のため、スッキリする、時間が余ったから…などなど。私はこれまで、ソフトテニス少林寺拳法・ヨガ・ズンバなどいろいろな運動をしてきました。スポーツジムでマシン使ったり、走ったりも。最近はボルダリングをはじめたり、比較的体を動かすのは好きな方です。

 

純粋に運動するとスッキリするから、もしかしたらこれが一番の理由かもしれません。ふと、このスッキリ感には何が起因しているのだろう、そう考えました。

 

体を動かしている時に陥る錯覚

思い出してみると、私が運動している時、“自分を壊している感覚”になることがあります。特にそこに没頭している時に。一番それが当てはまるのが少林寺拳法でした。少林寺拳法は型を習うスポーツです。たまにミットを打ったりもします。

 

型を真剣にやっている時、ミットを真剣に打っている時、そこに自分がいる感覚になっていたな、と。一人で型をしていても、見えない自分と戦っている気持ちに。ミットが自分で、それを打ちまくっている気持ちになっていました。

 

それで、最近自分を壊してしまいたくなって、なんか運動しようと思ったんです。その時たまたま思いついたのがボルダリング。理由は特にないです。なんとなく、すごい疲れそうだな、って。

 

ボルダリングをしてみて

そんな適当な理由でボルダリングに行きました。とりあえず、2,3時間登れば自分を壊せるかもって。

 

登ってみると、はじめはスイスイ行けちゃうんですよね。でもあるところを境に全然登れなくなる。そうするとできないことが無性に嬉しくて、ひたすらトライする。まるでその壁が“ジブン”であるかのように。

 

それで、全然登れなかったところが登れた時。そこが自分を壊せる時なのかなって思っていました。何回もトライして、体がバキバキに筋肉痛になって、ちょっとヤな自分が壊れるのかな、って。その先に登れる自分が出てくるのかなって。

 

でも、今日登れなかった壁が登れた時、思わず笑顔になって、なんだか自分のことがちょっぴり好きになったんですよね。「よくできたじゃん」って。

 

ボルダリングをする理由

ボルダリングに限らず、私が運動・スポーツをする理由。それは自分を壊してしまいたいから。でも、結局は自分を壊して新しい自分になるよりも、そのままの自分でちょっと何かができるようになったり、そのままの自分で頑張ることで、自分を好きになれる。この感覚が好きだなーって気付きました。

 

“自分を壊したい”そう思っている時点で、ヤなことに疲弊している私がいるんだと思います。でも、ぼーっとしていても壊れないから、体を動かしに行く。“自分を壊す”ためにね。嫌なことがあって、塞ぎこんでしまいたくなっても、内に内に向かうエネルギーを外に向けられればきっと何かが変わる。そういうことなんですね、きっと。